宮代町は、縄文時代に奥東京湾を臨む大宮台地に位置していたため、約8000年前から「ムラ」を形成し、中世には鎌倉街道沿いの集落として、近世には日光御成街道沿いの徳川家の経済基盤を支える農村として発展してきました。そのため、前原遺跡等の出土品、中世の「西光院阿弥陀如来像及両脇侍像(国指定重要文化財)」、近世の農村状況を伝える「騎西領落堀堰論裁許状」、江戸庶民の旅日記「道中日記覚」、庶民信仰を示す「円空仏」、近世の貴重書「五魂説 完」等の文化遺産を多数保有しています。これらの文化遺産をデジタル化して公開します。
『宮代町史』の本文、各資料の目録を対象とした「検索閲覧システム」をご利用いただけます。 詳しい閲覧方法についてはヘルプをご覧下さい。
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宮代町史
平成14~15年刊行の『宮代町史』通史編・民俗編・ビジュアル版をフルテキスト化して公開します。
任意のキーワードから検索して読むことができます。

宮代町文化財
公開資料の利用権等は、資料の所有者等にあるため、本ウェブサイトからのダウンロード及び印刷はできません。
資料のご利用等に関するお問い合わせは、宮代町郷土資料館(0480-34-8882)までお願いします。
- 前原遺跡出土縄文土器 (縄文時代後期)
- 西光院阿弥陀如来および両脇侍像 安元2年(1176)
- 西光院中世文書 北条康成書状 永禄13年(1570) 翻刻あり
- 西光院中世文書 北条氏房判物 天正14年(1586) 翻刻あり
- 西光院 絹本着色徳川家康画像
- 西光院 粟田口焼葵紋茶碗
- 真蔵院 円空仏
- 百間村絵図 宝暦3年(1753)頃
- 百間村絵図 宝暦14年(1764)
- 御代官所其外地形絵図面 万延元年(1860)
- 須賀村新田検地帳 元和5年(1619) 翻刻あり
- 騎西領落堀堰論裁許状 元禄6年(1693)翻刻あり
- 溜沼水論絵図 万治2年(1859)頃
- 幸手領絵図 延宝年間(1673~1681)の写
- 岩槻城絵図 元禄10年(1697)~正徳元年(1711)
- 道中日記 天保12年(1841) 翻刻あり
- 清次郎さんの旅日記ルート
- 「身代り薬師如来 略縁記」 文政4年(1821)翻刻あり
- 句集「深川よとみ集」 弘化3年(1846) 翻刻あり
- 「旦暮帖」 天保7年(1836) 翻刻あり
- 「善身堂一家言 乾」 文政6年(1823)12月
- 「善身堂一家言 坤」 文政6年(1823)12月
- 大日本国府県便覧 明治7年1月
- 埼玉県置郡分画図 明治12年4月11日
- 時刻表 明治時代
- 鉄道線路および賃銭里程表 明治33年1月
- 「古事記序解 全」 明治9年(1876)9月5日
- 「五十音図説」 明治11年(1878)9月13日刊
- 「五魂説 完」 明治14年(1881)8月22日
- 「性説疏義 上」 昭和10年(1935)10月25日発行
- 「性説疏義 下」 昭和10年(1935)10月25日発行
- 「多少庵俳檀志」 明治40年(1907)12月5日発行
- 「玉兎集」 明治33年(1900)頃
- 「百間村水害誌」 大正2年(1913)9月
- 「御詠歌和讃栞」 昭和5年(1930)3月
- 「百間村由緒和讃及び念佛講始め御詠歌」 昭和時代(推定)
- 「百間始りの大縁記」 昭和14年(1939)の写