豊島区の平成史を彩る様々な出来事を現場レポート

安全・安心まちづくり

東日本大震災 ~豊島区が大揺れに揺れた一日~

佐藤 和彦

(平成18~24年 防災課長)
関連キーワード:東日本大震災
帰宅困難者であふれかええる池袋駅(平成23年3月11日)

1 はじめに

この原稿を書いているのは、平成30年10月。あの未曽有の大災害「東日本大震災」から早くも7年半の時が過ぎました。 
地震が発生したのは、平成23(2011)年3月11日(金)の14時46分。
この日は区議会予算特別委員会の最終日で、予算案に対する各会派の意見開陳が行われているところでした。4階の議員協議会室に、すべての区議会議員と区長以下の幹部職員が勢揃いしている中で、唐突にあの巨大地震が発生しました。
当時の区庁舎は、東池袋一丁目にあった築50年の旧庁舎です。ガタガタと小さな揺れが始まり、「おや、なかなか揺れが止まらないな」と思いきや、にわかに大きな揺れが来て、免震構造の旧庁舎はあたかも船のように右に左に大きく揺り動かされました。免震装置の関係でしょうか、限界点まで揺れるとガシャーンという音と共に一瞬止まり、止まったかと思うとすぐに逆方向に振り回されるように揺れ戻る。そういうことがしばらく繰り返されたと記憶しています。
旧庁舎の近くに設置していた豊島区の地震計は「震度5弱」を観測していました。これは、区内では関東大震災以来およそ90年間にわたって経験したことがない大きな揺れでした。
幸いにも豊島区には東北の被災地のような甚大な被害は出ませんでした。電気、水道などのライフラインにも深刻な被害は無く、当初はほっと胸をなでおろしたことを覚えています。
大変だったのは初動時ではなく、むしろ少し時間が経ってからでした。
かくいう私は、当時は防災課長でした。以下では、防災課でホワイトボードに書き留めていたメモから、当日の動きをピックアップしてみましょう。

2 ホワイトボードの記録から

はじめの記録は、14:53「震度7宮城県南部 23区震度5強、豊島区内震度5弱」というものです。
次いで15:00「分庁舎B館3階 A館との接合部柱にヒビ、剥離あり」などの被害報告が続き、15:23「遊佐町 被害なし」、15:35「常陸大宮市本部設置」などの記録が並んでいます。豊島区の防災協定先では、茨城県常陸大宮市での震度6強を筆頭に、岩手県一関市、福島県猪苗代町、栃木県那須烏山市で震度6弱を観測し、被害が出ていました。防災協定に基づく支援のため、翌12日朝には、那須烏山市と一関市に救援物資を積んだトラックを派遣しました。
 話を区内に戻しましょう。
15:25には「全線電車ストップ」という記載があります。
 ここから帰宅困難者問題が始まります。
 16:35「西口広場のバス停 人が多数並んでいる」
 16:45「立教大学1,000人が避難 教室の安全は確認済み」。
立教大学は、暖房がきいた大教室を開放し、大型スクリーンにNHKテレビを映して情報提供してくれました。
 その後、16:50に都電荒川線、16:55には都営バスが運行を再開します。この再開の速さにはちょっと感激したものですが、帰宅困難者の解消には至りません。
 地震発生後間もなく通信規制が敷かれて電話が通じにくくなり、日ごろは利用者が少ない池袋駅前の公衆電話ボックスには長蛇の列ができました。
 そして、17:10には「巣鴨駅600人、西武池袋駅400人、池袋駅3,000人、大塚駅150人滞留、帝京平成大学、ホテルメトロポリタン避難者あり、池袋駅地下コンコースすべて立ち入り禁止」と記録されています。
ホテルメトロポリタンも多くの帰宅困難者を受け入れてくれました。携帯電話の充電器の貸し出しなど、ホテルならではの細かい配慮もなされました。
このほか、数多くの飲食店等が終夜営業し、翌日に電車が動くまで帰宅困難者を受け入れてくれました。皆さんの自主的な温かい対応には、ただただ感謝あるのみです。
その後、区内各地で帰宅困難者が数多く発生し、18:00「清和小学校避難者10人。開設決定」を皮切りに、区内各地の小中学校で帰宅困難者の受け入れを始めました。救援センター(避難所)の配備職員を急きょ招集して順次小中学校に派遣し、最終的には区立小中学校など13か所で帰宅困難者を受け入れました。
18:27「豊島公会堂、区民センター帰宅困難者受け入れ不可」との記載がありますが、確か夕方まではイベントが行われていたのだと記憶しています。
18:40には「JRは3月11日終日運転見合わせ決定」というダメ押しの情報が・・・。
この見合わせ決定により、帰宅困難者問題の深刻化が決定的になりました。
18:55「区内小学校12校で児童が待機中」という報告が入っています。学校は、児童の保護と帰宅困難者受け入れという二重の役割を負うこととなりました。
同時刻「芸術劇場800人収容。現状で受け入れは限界」。
20:50「豊島公会堂を開放」。夕方までの事業が終了し、公会堂での帰宅困難者受け入れが始まりました。
21:00「都営大江戸線全線運行再開、浅草線再開」とあります。地下鉄は地震に強いと聞いていましたがその強さを実感するとともに、都営交通の運行再開への積極的な努力には敬服しました。その後、22:30有楽町線(池袋-新木場間)運行再開、22:40西武池袋線(池袋-飯能間)運行再開、23:00丸ノ内線運行再開と、続々と鉄道の運行が再開されます。このおかげで、帰宅困難者問題はある程度緩和されました。
21:51には「帝京平成大学避難者 子ども11人、保護者2人、先生5人計18人、その他学生150人」とあります。お子さん達は近所の私立保育園だったと思いますが、帝京平成大学で受け入れてくれました。
23:00には「池袋小受入ストップ(満員)」とあります。池袋駅西口から近い池袋小学校には収容能力を超える帰宅困難者が来てしまったため、近隣のほかの学校を案内することにしたのです。
23:50「豊島公会堂避難者多数。区民センター6階を開放」。公会堂が満員になり、隣接する区民センターでも受け入れを開始しました。
明けて3月12日(土)0:10「丸ノ内線終日運転」、0:27「西武池袋線終夜運転」など地下鉄、私鉄の終夜運行が決まりますが、JRの山手線が止まっているために、どうしても帰れない帰宅困難者が取り残されました。
01:28「本庁舎避難者200人、公会堂700~800人、区民センター200人」
01:40「小中学校12か所、428人」
そのほかにも、勤労福祉会館、大正大学、戸田記念講堂、池袋防災館など区内各地の施設で大勢の帰宅困難者が夜明かしをしていました。
01:35「東京都は帰宅困難者対策のため災害救助法の適用を要請」という情報が入りました。都内全体で膨大な帰宅困難者が発生していることを改めて実感しました。
その後、05:30になると「山手線8:00再開見込み」という情報が入りました。
すると、06:32には「池袋小 避難者全員帰宅」。帰宅困難者で満員になっていた池袋小学校が避難者ゼロになったのです。
このように山手線が動き出すとの情報が流れたとたん、帰宅困難者は激減しました。実際に運行再開したのは11時過ぎになりましたが、その効果は絶大でした。
この後、順次各施設を閉鎖していき、昼にはすべての施設で撤収を終えました。

以上、防災課に集約された情報を中心に、東日本大震災の当日から翌朝までの様子を振り返ってみましたが、いかがでしたでしょうか。
この後、豊島区では、東北の被災地支援に取り組むとともに、計画停電に対応した節電対策、水道水の放射線問題に対応したペットボトルの配布、放射線量の測定と除染活動など、これまで経験したことのない困難な課題への対応を続けることになります。
また、帰宅困難者対策の充実強化など、震災の経験を生かした防災対策の大幅な見直しに取り組み、地域防災計画の見直し、震災対策基本条例の制定などに取り組みました。

地震で大きな被害を受けた一関市
池袋駅西口バス停に長蛇の列
階段に座り込む人々(池袋駅)
帰宅困難者を受け入れたメトロポリタンホテル
多くの飲食店が終夜営業
徒歩で帰宅しようと案内地図を見る人々
区役所ロビーで夜を明かす人々
鉄道各線の運行状況を掲示

3 東日本大震災が残したもの

さて、これまでは、行政の動きを中心にご紹介してきましたが、ここからは被災地に深く思いを寄せ、心温まる支援を続けている人たちのことを書きたいと思います。
まず、「西巣鴨中学校地域サポートクラブ」による南三陸町への支援活動をご紹介させていただきます。
サポートクラブは、西巣鴨中学校地域スポーツクラブや青少年育成委員会、西巣鴨中学校サッカー部の保護者の皆さんが、平成23年6月に結成したボランティア組織です。平成23年7月には、サッカー部に所属している中学生やOBの高校生を含めた25人のメンバーが参加して南三陸ボランティアツアーを実施し、南三陸町の歌津中学校サッカー部との交流試合などを行いました。
高速道路の無料通行の手続きで区役所を訪れた代表の岸さん、副代表の佐藤さんから「中学生・高校生と共に、自分たちなりの支援活動をしてきます」というお話を聞いたとき、私は子供たちが参加することに軽い驚きを覚えるとともに、心の奥深くから感動を覚えました。
支援の形は色々あるでしょうが、子どもたちが大好きなサッカーで交流し、被災地を元気づけようという支援は、役人である私の頭からは到底生まれてこない発想でした。
こういう支援こそがまさしく“被災者に寄り添う”支援ではないでしょうか。私は、何と素敵な支援をする人たちだろうと素直に感心したものでした。
このほかにも、南三陸町には大正大学が、岩手県陸前高田市には立教大学が、それぞれ大学を挙げて継続的な支援を続けていきます。大学も素晴らしいのですが、数えきれないほど多くの大学生たちが被災地支援活動に献身的に取り組んでくれたことには頭が下がる思いでした。
被災地に足を運んだ人は、誰しも「自分も少しでも被災者の皆さんの力になりたい」という思いを抱くでしょう。私もその一人です。しかしながら行政の支援は、サポートクラブや大学生たちのような等身大の支援、被災者に寄り添う支援とは違って、物資の提供にせよ職員派遣にせよ、あくまでも行政の仕事としての枠から出ることはありません。私は、そこに何となくやりきれないような、もどかしい思いを抱いていました。
ですから、サポートクラブや大学生たちなど、区民の皆さんの自発的な支援が活発に行われていることには、豊島区民もまだまだ捨てたもんじゃないね、と大いに励まされものです。
一方、被災地だけでなく区内でも注目すべき動きがありました。
それは、区立千川中学校での防災教育の取り組みです。
千川中学校では、小林校長先生の強いリーダーシップによって一年間通して防災教育が行われ、生徒たちは地域の皆さんと一緒にまち歩きをしたり、消防団の指導でⅮ級消防ポンプの操作を学んだりして、地域を守る中学生として自覚と能力を伸ばしていました。
千川中学校の防災教育に協力するため、防災課は阪神・淡路大震災を経験した防災コーディネーターの京町(みやこ)さんを講師として派遣しました。京町さんとのご縁は、たまたま防災課の大久保係長とPTA仲間だったという偶然によるものでしたが、災害を風化させない活動をずっと続けてきた方とのつながりが生まれたことは、その後の防災フォーラムを実現させる大きな原動力となりました。
これまで述べてきた方々をはじめとして、さまざまな機会を通じて被災地支援などに取り組んでいる人たちと出会う中で、東日本大震災から2年目を迎える平成25年の春、みんなで集まって池袋から震災を風化させないメッセージを発信する事業をやろうという機運が高まってきました。
京町さんの人的ネットワークは強力なもので、西巣鴨中学校地域サポートクラブ、千川中学校、立教大学など区内の団体に加えて、宮城県石巻市の石巻西高校、練馬区の大泉桜高校、神奈川県の向上高校などに大きく輪が広がり、平成25年3月9日、多くの若者たちが池袋に集結し「平成24年度豊島区防災フォーラム~1.17神戸から3.11東日本 そして未来へ~」が開催されました。
防災フォーラムは豊島区主催の事業ではありますが、内容は支援者主体のものとなりました。各団体の活動紹介や若者たちの交流企画「防災ユースサミット」、被災地支援のミニコンサート、神戸からお預かりした「希望の灯り」を岩手県宮古市田老で作られた「夢灯り」に灯す点灯式など、区民の皆さんや若者たちの思いが詰まった事業になりました。
私は、こうした多くの人たちの思いや活動こそが、東日本大震災の最大のレガシーだと思っています。
このフォーラムは、防災課長としての私の最後の大仕事となりましたが、私の中には、ここに集まってくれた多くの人たちと共に、これからも東北支援を続けていこうという思いが根付いていきました。
私は、その後、防災課から異動になりましたが、防災フォーラムで知り合った仲間たちとボランティア活動を続けています。代表の佐藤さんを中心に、大久保係長、岸さん、京町さんたちと「防災ボランティア灯りの会」を立ち上げて、東北支援チャリティ上映会や物販販売などの支援活動を続けています。

西巣鴨中学校地域サポートクラブ
南三陸ボランティアツアー(平成23年7月)
ガレキ作業
歌津中学校サッカー部との交流試合
3.11希望の灯り(池袋西口公園)
防災フォーラム(チラシ)

4 おわりに

私は、防災課長として東日本大震災を経験しました。その当日もその後の日々においても、個人的にあるいは防災課として、できることはすべてやってきたと思っています。
それでも私は、やり残したことがまだまだ残っていると感じています。
あの日あの時、そしてそれに続く日々にやれたこと、やらなければならなかったことがもっとたくさんあったのではないか。
そんな「やり残した」という思いが、今も私の中に強く残っています。
そしてこのやり残し感は、私の活動の原点となっています。
東日本大震災は今も終わっていません。
もちろん多くの皆さんの努力によって、復興に向けて着実に動きだしている被災地もありそれは素晴らしいことですが、一方で、あの日から時間が止まったままの帰還困難区域もまだ残されています。
首都圏で暮す私たちには、少しずつ実感や記憶が薄れつつある震災ですが、被災地は今もあり、ふるさとを奪われてしまった人たちが今もいるのです。

私の力は小さなものですが、せめてあの日の出来事を風化させたくないと思い続けています。
そして同じ思いを抱く仲間たちとともに、「震災を風化させない、被災地に寄り添い、心の灯りを灯しつづける」。そうした活動をこれからも続けていこうと思っています。

関連キーワード:東日本大震災

関連年表

平成23年 3月11日 東日本大震災発生、区内各所で帰宅困難者受入れ
3月12日 防災協定締結被災自治体への救援物資搬送開始
3月24日 区長「区民を守る宣言」、乳児への飲料水(ペットボトル)配付
5月31日 夏期の電力不足への対応方針発表
6月4日 第1回「地域防災フォーラム」開催-大震災の現場から豊島区の防災を考える-
10月 学校・保育園給食食材の放射性物質測定実施
10月26日 全区立公園(158か所)の放射線測定開始
10月28日 夏期の電力不足対策の結果公表、区関連施設全体で22.3%削減
11月21日 「池袋駅周辺混乱防止対策訓練」、インターネット回線による情報伝達訓練に特化して実施
12月8日 帰宅困難者対策をテーマに「地域防災フォーラム」開催
平成24年 2月3日 東京都・埼玉県などとの連携による広域的な帰宅困難者対策訓練実施
3月-日 「総合的な震災対策の推進に向けた基本方針」「帰宅困難者対策計画」策定
3月19日 「地域防災フォーラム」開催-震災復旧・復興を考える-
6月 「業務継続計画(BCP)」策定
11月20日 帰宅困難者対策訓練実施、約3,000名が参加
平成25年 3月1日 「防災対策基本条例」「震災復興の推進に関する条例」制定
3月9日 若者中心に「防災フォーラム」開催-1.17神戸から3.11東日本そして 未来へ-
平成26年 3月11日 東日本大震災復興支援プロジェクトinとしま「3.11希望の灯り」開催
豊島区

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