豊島区の平成史を彩る様々な出来事を現場レポート

安全・安心まちづくり

木密地域不燃化事業~東池袋四・五丁目地区のまちづくり~

鮎川 傑

(平成12~13年 再開発課長/ 14~18年 道路整備課長/ 19~22年 都市計画課長/ 23~24年 都市整備部長/ 25年 地域まちづくり担当部長)
関連キーワード:木密地域不燃化事業
東池袋四丁目地区市街地再開発建物「ライズアリーナビル」

1「街づくり協議会」の誕生

30年ほど前、「まちづくり」という言葉は今ほど一般的ではなく、道路など公共施設整備に関連しても「まちづくり」と表現することはありませんでした。それが区の中で頻繁に使われるようになったのは、木造住宅密集地域の改善を行う仕事であって、その仕事がどんなものなのか、何か謎めいていて新鮮な響きに感じたことを覚えています。
区の木造住宅密集地域の改善(木密対策)は、東池袋四丁目・五丁目地区が最初ですが、たまたま戦災を免れ、狭い道路のまま住宅が密集し、防災上危険な状態になっていた地区の改善に乗り出しました。なかには、接道する道路がなく建て替え出来ない住宅もあり、その解決策として、個人の住宅建て替えと周辺道路を一緒に整備する方法が考えだされました。この時、住民と区が協力し、地域の環境改善につなげる役割として登場したのが「街づくり協議会」です。当時は、豊島区街づくり公社(としま未来文化財団の街づくり部門の前進)が、街づくり協議会を支援して、祭り・イベントを行っていたこともあり、「これもまちづくりなのか?」と不思議に感じられました。
現在、「まちづくり協議会」が地域のつなぎ役になり、地域住民と行政による協働のまちづくりの「推進力」になっていますが、この時の「街づくり協議会」が原型となり、いろいろ経験を経て発展してきたものと考えています。
なかでも忘れられないのは、地下鉄有楽町線・東池袋駅と直結するエアライズタワーを建設した「東池袋四丁目地区の市街地再開発事業」です。何故なら、「住民の合意形成」とか「協力関係」とか、いろいろ学んだ事業だからです。

東池袋4・5丁目まちづくり祭(昭和61年)

2 進むも地獄、退くも地獄と言われた「まちづくり」

東池袋四丁目地区第一種市街地再開発事業は、昭和63年に地元住民によって設立された「再開発協議会」を発展させ、平成6年、約100名の権利者により「市街地再開発組合」を設立、この組合が事業主体となって都市計画事業を行う、豊島区では第一号の「組合方式による再開発事業」です。もともと民間企業が共同化のため独自に土地取得を行っていましたが、区域の中に未整備の都市計画道路(補助175号線)があり、住宅密集市街地の改善と公共施設整備を一体的に行うため、市街地再開発事業としたものです。
当初は、平成11年の完成を目指していましたが、平成2年の発生といわれる戦後最大の経済危機「バブル経済の崩壊」の影響をまともに受け、結局、大幅な計画変更を行いながら平成19年の完成となりました。
あとから社会では「失われた10年、20年」と言われましたが、誰もが予測できない社会経済の波を受け、約8年間は事業をまったく進めることができず、権利者住民をはじめ事業関係者にとっては、苦労に苦労を重ねてやっとの思いで完成させた事業というのが本音だと思います。
何故、事業が進めなくなったのか。はじめの計画では、区域の敷地を一つにまとめて共同住宅とオフィスビルを建設、共同住宅には権利者住民が入居、オフィスビルの方は民間企業に売却し、そこで得た資金を建設工事費など事業資金に充てる計画でした。ところが、バブル経済崩壊の影響からオフィス需要が大きく落ち込み、オフィスビルの売却が困難になってしまったのです。
当時、元気だった外国資本の企業からオフィスビル購入の話が持ち込まれることもありましたが、買い手市場になっており、企業からの提示される提案は、とても権利者である住民の権利を守れる内容のものではなく、とても情けなかったことを覚えています。

サンシャインの南東に広がる木密地域
再開発前の東池袋四丁目の街並み

3 バブル崩壊で事業計画を抜本的に見直し

こうした現実を目の当たりにし、何とか打開するため、需要が落ちたオフィスビルの規模を縮小し、少しでも需要が見込める共同住宅の規模を増やすといった「事業の抜本的な見直し」を再開発組合の理事長はじめ関係者、区は決断したのです。
しかし、いくら事業を見直すといっても、実際に実行できなければ計画倒れです。誰もが納得できる「実行可能な計画」につくり直す作業「事業再構築」こそが、この再開発事業を完成させるための大きな山場だったと思っています。
乗り越える問題はたくさんありましたが、一つ目は、冷え込んだ経済情勢に併せて事業費全体を圧縮することです。建築工事費を徹底的に見直し、さらには権利者に支払われる予定の補償費も大幅な削減対象にしましたので、権利者の合意が得られるのか、大きな課題になっていました。
二つ目は、事業が停滞したため、権利者だけでなく組合執行部を支えるべき事務局職員も目標を失いかけていました。当然、区と組合執行部の役員権利者との関係もギクシャクしたものになっていましたので、最優先に、こうした状況を修復することが大変難しい仕事でした。あとで考えると「事業再構築」とは事業費を削減すだけでなく、この事業に携わる権利者、事業協力者、区などの関係者間の信頼関係を再構築することだったと思います。
ではどの様に再構築を実行したかですが、組合の理事長や理事の方々、コンサルタント、民間企業や区の職員が問題解決のため話合いのテーブルをつくることが出来たことに尽きると思っています。最初は少人数でしたが、それぞれの立場を超えて問題解決を図るうちに、新たな協力者が現れ、権利者からも少ずつ賛同が得られるようになりました。
その中で、それぞれの役割分担もでき、区は事業主体である組合執行部を支え、一体となって再度の合意形成を目指しました。理事や事務局職員は権利者を一人ひとり訪問し、事業再構築に対する理解を求めました。この時、区が行った支援の一つが「再開発ビルへの区立中央図書館の整備」ですが、この支援がなければ、次に続く多くの関係者の協力は得られなかったと思っています。
振り返ってみると、当時、退く道もあったのかもしれませんが、大きな経済変動が理由とはいえ、都市計画事業から撤退することは、その後の区のまちづくりを大きく後退させてしまう。また、何より「権利者の生活再建」を考え、当時の区(区長)は熟慮を重ねた上で、この再開発事業を前に進めていくことを決断したのだと思います。
余談ですが、事業再構築を成功させるために、区長にも大手の民間企業などに協力依頼のPR活動をしてもらいましたが、相手企業から良い返事をもらえるはずもなく、帰り際、担当職員としては冷や汗ものでしたが、区長は気にする様子もなく、「お疲れ様」の一言だったことには大変救われたことを覚えています。
完成した後、東京都との意見交換のため、区長が都市整備局長を訪問した際、局長から最初に出た言葉は、「東池袋四丁目再開発を仕上げていただきありがとうございました」でした。東京都が都市計画決定を行い、その後、バブル崩壊の影響を受けた多くの再開発事業の中でも、一番長く時間がかかった再開発事業だったからです。
再開発事業という「まちづくり」を完成させるため携わってきた組合理事、コンサルタント、民間企業の多くの職員、それぞれの立場を超えた協力関係は忘れることができません。

再開発ビル完成イメージ
中央図書館

4 都市計画道路が先導する「まちづくり」

住民の意向に併せゆっくりと整備が進められるのが木密地域の改善ですが、そのスピードをアップさせた事業が、東池袋四・五丁目地区の補助81号線沿道まちづくりです。現在、東京都が首都直下地震対策で進めている「木密地域不燃化10年プロジェクト」のモデルになった事業だと思っています。平成8年ごろ、この地区は、東京都が東池袋四・五丁目全域を東京都施行の再開発事業で整備する話が持ち上がっていました。東京都主催の地元説明会が何回も行われ、住民からは「本当にこんな広い範囲を再開発するこが出来るのか」と質問が相次ぎ、都の担当課長は、もっと広い区域で事業を行った経験があるので大丈夫」と回答しています。確かに当時の都の担当部署は、江戸川区などで大規模再開発の実績があり再開発の専門集団だったのです。
しかし、この計画もバブル経済崩壊の影響が大きく、東京都は再開発事業から撤退することになります。住民も区も梯子を外されたわけですが、木密地域改善という仕事は残されました。
そこで、平成16年ごろ、都と区で考えたのが、都市計画道路事業(補助81号線)を先導役にして沿道の共同化を誘発し、居住環境を改善していく方法です。現在の特定整備路線と同じ、道路事業を契機として沿道の不燃化など住民の協力を求めていこうという発想です。
とは言え、東京都が担当する都市計画道路事業のについては実績はが十分ありましたが、区が担当することになった道路沿道の共同化のを誘発していくことなどは経験はがなく、とても重い荷物仕事だったと記憶しています。
実績があったのは、「街づくり協議会を運営」とか「地区計画の決定手続き」だけだったような気がします。そこで、沿道で意向調査を実施したりブロックごとに懇談会を繰り返し開催したり、いわゆる地元気運の掘起こしから手探りで始めました。これは、日頃から区が街づくり協議会の運営に携わり、当然ですが区民との話合いに慣れていからだと思います。現在では、共同住宅が2か所で完成、再開発事業による高層ビルが2か所で都市計画決定さており、他にも新たな共同化の話合いが進んでいます。この地区を視察される国や都の職員から、最初は、これほど共同化が進むとは思わなかったという感想を聞きますし、区の担当者にとっても予想外の結果だったことは確かです。
現在は、東日本大震災を契機として木密地域の解消を急ぐため、5路線7区間(5.3㎞)の特定整備路線事業が住宅密集地域の中で進んでいます。長年にわたり未整備だった都市計画道路ですので、唐突な話で地権者は驚かれたと思います。ですので、可能な限り地元の皆様に事業内容をご理解いただくため、東京都の事業であるにも関わらず、都よりも地域との繋がり強い区が、都の職員をリードして町会や商店会を訪問し、地区ごとの懇談会や説明会を重ねてきました。開いた会合の数は80回を超え、延べ8000人以上の区民に参加いただき、また、開催が夜間でしたので、体力勝負で特定整備路線の着手にこぎつけてきたと思っています。今後は、特定路線沿道まちづくりを更に発展させ、東長崎駅、椎名町駅、北池袋駅、下板橋駅周辺の「まちづくり」にも取組んでいきます。
「まちづくり」には公共性が求められます、個人の利益のために行うことは目的としていません。しかし、「まちづくり」に取り組むことによって地域の価値が上がり、結果として個人の利益につながっていくことは、この取組の大切な視点です。「鶏と卵」のようで不思議ですが上手に活用していきたいと思っています。

補助81号線沿道まちづくりイメージ
木密不燃化10年プロジェクト事業地区
関連キーワード:木密地域不燃化事業

関連年表

昭和59年 2月 「東池袋4・5丁目地区街づくり協議会」設置
昭和62年 4月1日 「東池袋4・5丁目地区まちづくり推進協議会」設置
昭和63年 7月 「東池袋四丁目再開発協議会」設立
平成5年 8月17日 「東池袋四丁目地区第一種市街地再開発事業」都市計画決定 *関連都市計画決定(再開発地区計画・高度利用地区・補助175号線変更)
平成6年 11月29日 「東池袋四丁目地区市街地再開発組合」設立認可
平成8年 11月27日 「東池袋4・5丁目地区まちづくり連絡会」発足
平成13年 5月 市街地再開発事業都市計画変更
7月 市街地再開発事業計画等変更(事業再構築)
平成16年 2月 市街地再開発事業施設建築物工事着工
11月8日 東池袋地区補助第81号線沿道まちづくり協議会発足
平成17年 11月16日 補助81号線東池袋四・五丁目地区、南池袋地区事業認可
12月14日 東池袋地区補助第81号線沿道まちづくり協議会、沿道まちづくりに関する「提言書」を区長に提出
平成19年 1月11日 補助175号線(東池袋四丁目市街地再開発事業分)工事完了
1月30日 市街地再開発施設建築物工事完了、ライズアリーナビル(業務棟)・エアライズタワー(住宅棟)竣工式
平成24年 1月20日 東京都「木密地域不燃化10年プロジェクト」実施方針公表
8月31日 東池袋四・五丁目地区、不燃化特区先行実施地区に選定(H25.4事業開始)
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