わが街ひすとりぃ

昭和から平成へ・・・まちの変遷を語る 【動画配信】



  • 第8回 雑司が谷

    <ご出演者>

    柳下 栄子(やぎした えいこ)さん ※写真左

    雑司が谷の地の中世以来の草分けとされる柳下家に秋田県から嫁がれた。雑司が谷在住63年

    清田 明(きよた あきら)さん ※写真右

    雑司が谷弦巻通り商友会会長。雑司が谷二丁目町会前会長。NPO法人「雑司が谷ひろばくらぶ」代表。雑司が谷在住63年

■現地ロケ編
(2018年11月27日収録)

柳下 栄子さん、清田 明さん、ゲストの髙野れい子さんに、実際に雑司が谷地域をご案内いただきながら、「柳下家」「清土鬼子母神」「旧高田小学校」「雑司が谷駅」などについてお話をうかがいました。また、ゲストの方々と「大門ケヤキ並木」などについて語っていただきました。

<ゲストご出演者>

髙野 れい子さん 豊島区民生委員・児童委員。雑司が谷二丁目町会副会長。御会式連合会

田中 伸さん 「鬼子母神 大門欅並木 保存会」代表

柳下 正樹さん カフェ「ソレカラ」のマスター。柳下若狭守の末裔(柳下栄子さんのご長男)



■広報番組インタビュー編
(2019年1月31日収録)

豊島区の広報番組「としま情報スクエア」に、柳下栄子さん、清田明さんにご出演いただき、雑司が谷地域の特徴や、昭和から平成にかけての変遷などを語っていただきました。


■雑司が谷:7つのキーワード  雑司が谷の関連資料※近日公開現地ロケ編全文テキスト


・柳下家[現地ロケ編:00分05秒~]ゲスト:髙野 れい子さん

後醍醐天皇に仕えた雑司「柳下若狭守(やぎしたわかさのかみ)」の末裔。柳下若狭守が現在の雑司が谷に移り住んだのが「雑司が谷」という地名の由来になったとも言われている。

・清土鬼子母神[現地ロケ編:02分37秒~]ゲスト:髙野 れい子さん

雑司ヶ谷鬼子母神の出現の地。1561(永禄4)年柳下若狭守の下男・山本丹右衛門が、清土の田面中より鬼子母神像を掘り出したという。御会式の出発地。

・雑司が谷旧宣教師館[現地ロケ編:04分21秒~]ゲスト:髙野 れい子さん

1907(明治40)年、アメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建て、帰国するまでの34年間暮らした建物。区内の現存する最古の木造洋風建築。

・旧高田小学校[現地ロケ編:05分30秒~]ゲスト:髙野 れい子さん

123年の歴史を持つ旧第一小学校。現在は校舎は解体され、まちづくりの拠点となる公園施設の建築が進む。

・雑司が谷弦巻通り商友会[現地ロケ編:07分14秒~]ゲスト:髙野 れい子さん

元は「雑司が谷商友会」という名称だったが、かつての雑司ケ谷村を流れていた「弦巻川」の名前を残したいという思いから、十数年前に現在の名称になった。

・雑司が谷駅[現地ロケ編:08分07秒~]ゲスト:髙野 れい子さん

東京メトロ副都心線の駅。駅名は当初「東目白駅」の予定だったが、駅名に「雑司が谷」を残そうと柳下家も加わり地元住民が運動を起こし、現在の駅名に決定した。

・大門ケヤキ並木[現地ロケ編:09分29秒~]ゲスト:田中 伸さん

天正年間(1573~92)に雑司ヶ谷の住人長島内匠が奉納したという。1937(昭和12)年には18本あったが、現在は4本のみ。秋田雨雀らが保存会を結成し、都天然記念物に指定された。江戸時代には料理茶屋が軒を連ねた。


■雑司が谷をもっと知る


基本情報 ⋯⋯ 雑司が谷の基本情報(人口、施設、地域の特徴など)を閲覧できます。

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              「鬼子母神」年表を検索 資料を検索) 「雑司が谷旧宣教師館」年表を検索 資料を検索)
              「弦巻川」年表を検索)

既刊区史(通史編1) ⋯⋯ 雑司が谷村のおいたち

既刊区史(通史編2) ⋯⋯ 宣教師館(写真)

既刊区史(通史編2) ⋯⋯ 高田尋常高等小学校

既刊区史(通史編2) ⋯⋯ 鬼子母神の欅並木(画)

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