多摩デジタル新選組資料館/新選組関連資料館

    新選組を支援した多摩の豪農

     調布多摩川絵図

多摩郡関戸村(東京都多摩市)の名主・相沢伴主が江戸の画工・長谷川雪堤に描かせ、木版刷りで出版した。
多摩川の源流から下流までが詳細に描かれ長さは13メートルある。
甲州道中の 日野宿 や土方歳三の生まれた 石田村 や高幡不動尊、 六所宮(大国魂神社) が描かれている。
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     小島家と小野路

小野路村(現・東京都町田市小野路)

天保年間の図

元禄年間の図

 

平成28年 航空写真

小野路村各方角絵図面

小野路宿は鎌倉時代に開かれた山あいの宿で、江戸時代には6軒の旅籠があった。この図は幕末のもので小野路から府中へ抜ける道は徳川家康の御霊を久能山から日光へ移した時の御尊櫃御成道(ごそんぴつおなりみち)である。 黒川~坂濱へ抜ける道は、甲州街道布田宿につながる布田道(ふだみち)である。江戸に行くには近道のため、近藤勇・土方歳三・沖田総司も利用した。沖田は文久2年(1862)7月に麻疹にかかり、布田宿へ送られている。現在は廃道になっていて、自動車は通行できないが、徒歩では通行可能。真光寺から栗木へ抜ける道が現在布田道と言われているが、これは誤りである。 小野路では炭焼きが盛んで、この布田道を使って馬の背に乗せて炭を運んだ。炭問屋の布田宿の原惣兵衛は多摩川を使って舟で炭を羽田へ運び、大きな船に積み替えて江戸に運んだ。

小野路村外34ケ村 寺社麁(あら)絵図面


小野路村は文政10年(1827)に小野路村外(ほか)34ケ村組合村の親村になり寄場(よせば)となった。武蔵国多摩郡11ヶ村、同国都築郡24ヶ村からなる。太い赤線が主要道路で、市ヶ尾村・下谷本村を通る道が青山道(大山街道)現国道246号線。小野路を通る道が、甲州道中府中宿へ抜ける府中道である。小野路組合村は、鶴見川に沿った道(神奈川道)を含んだ組合村である。この図は明治2年に寺社を記したもの。

 

小野路村 旗本山口近江守非常用住居地絵面

旗本山口直邦について

     小島家

屋敷は900坪、主屋の前の庭で、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが剣術の出稽古を行った。
小島家母屋の建築は、天保一二年夏より約一ヶ年かかってつくられた。そのとき、土地の大工に金一〇両と米一〇俵、左官に三両二分の建築費を要したといい、屋根はとくに会津から屋根屋を招いて葺かせたという。 母屋は、間口一二間(二一・六メートル)、奥行七間(一二・六メートル)、屋根の最高部、約六間(一一メートル)であった。

 向って右側に台所をとり、左に手前からオモテ、茶の間二部屋、それに式台のある玄関、オヘヤ二部屋、さらに、上段の間(幕府の役人か使用)、中の間と奥の間、茶室の各部屋が整然と並んでいる。そして座敷周り三方には幅三尺の縁が回り、表座敷の片隅には、もと客用に使用された「浴室」が設けられてあった。
 また台所の右側には男部屋(もと臼ひき場)この男部屋の右に昔は別棟で馬小屋があった。風呂場(もと物置)、カッテ(もと男部屋)、カマド(もと風呂場)があって裏手にはミソベヤ(もとカッテ)がある。
 表座敷と茶の間との間仕切は昭和初年ころ仕切られ、往時は二二畳という広間で組合村の名主の会議室として使われた。

 母屋の構造は、基本的には一般の農家と異るところがなく、いわゆる扠首構造であるか、屋根裏は以前養蚕に使用した関係から、中二階、三階と三段に仕切られている。最下段の床は板張りであるが、他はすべて箕子板張りである。そして大黒柱のみ中二階の梁下端まで延びているか、中二階、二階の梁の支持は一階の梁上端から建てられた柱によって支持され、最上階のみ扠首にわたした繋梁によって支えられている。
 屋根は茅葺の寄棟造であるが、東の妻側には流れをゆるくして造られた開口部があるが、総体的に暗い。明治一八年の銅版画によると、母屋の玄関上部には千鳥破風がついていたことがうかがわれる。
 小島家では昔から火災を恐れ、「火」にたいしては特別に注意をはらっていました。冬になると、屋根に長いはしごをかけるのが年中行事でした。火災は、大気の乾燥した冬に多く、近所で火災があったとき屋根に飛んできた火に水をかけるためです。庭の隅に水をいっばい入れた大釜を置き、非常の際の防火用水にしたそうです。『小島日記』によると、はしごは5月に外しています。おそらく、前に2本、裏に2本を掛けたと思われます。また、明治期に作成した柱に掛けた木札には、「龍土水ポンプ時々注意厳実又湿気腐敗等ヲ心付くべき事」「取灰最も注意すべき事」そして、太い字で、「火之元大切第一ニ注意すべき事」と記されています。

このような心がけと平常の用意があったため、幸いにも小島家では火災を出さず、代々の史料が無事に伝わって現在にいたっています。(小島家母屋は、昭和三九年十一月に改築を始めたので、それ以前の建物の説明になります。)

 


     小島家の日記『梧山堂雑書』

解題
小島 政孝(小島資料館館長)
『梧山堂雑書』の著者は、武蔵国多摩郡小野路村(現東京都町田市小野路町)小島家十九代の小島角左衛門(政則)である。 角左衛門は、享和二年(一八〇二)に政敏の長男として生まれた。 続きを読む

文久三年の軍事的緊張と村での対応
重政 文三郎(小島日記研究会会長)
私たちの解読した小島日記『雑書』の文久3年がいよいよ刊行された。…
文久3年(1863)は、小野路村の領主(地頭)山口直邦がお役替えで新たに騎兵頭に昇進し、山口近江守となったというニュースに始まる。 続きを読む
「梧山堂雑書」 
文久三年
原本 一月 二月 三月 四月 五月 六月
  七月 八月 九月 十月 十一月 十二月
 
  目録 読み下し文

文久四年
原本 一月 二月        

元治元年
原本 三月 四月 五月 六月
  七月 八月 九月 十月 十一月 十二月
 
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