多摩市立図書館/多摩市デジタルアーカイブ

調布玉川惣画図

「調布玉川惣画図」多摩市教育委員会所蔵 多摩市指定有形文化財

江戸時代後期、関戸村の名主・相沢伴主が、多摩川の流れがどこから始まるのか調べてみたいと思い立ち、上流から下流まで歩きながら流域の名所や風景を写生し、長谷川雪堤が浄書したものを絵図にまとめたものです。

源流から河口にいたるまでの約13メートルの絵巻物を細部まで鮮明に拡大できる高精細画像で公開します。流域の人々の暮らしや今も残る数々の名所が描かれています。

「調布玉川惣画図」の見どころを紹介します

 サムネイルをクリックすると、該当箇所がご覧いただけます。

序文画像

ポイント1:序文

作者・相沢伴主による調布玉川惣画図の製作動機が明確に記されている部分です。絵図の中には製作動機や製作過程が分からないものもありますが、調布玉川惣画図の場合は、この序文があることで明確になっています。

序文をテキストで読む

調布玉川絵図之弁画像

ポイント2:調布玉川絵図之弁

作者・伴主が多摩川水源について持論を述べた部分と、調布玉川惣画図に描かれた各地の見どころを記した文章です。ここをよく読んでおくと、絵図が何を意図して描かれているのかが良くわかります。なお、多摩市教育委員会にはこの草稿にあたる「調布玉川絵図之弁草稿」が残されており、違いを比べてみることもできます。

多摩川中流域部分をテキストで読む

参考資料「調布玉川絵図之弁」

参考資料「調布玉川絵図之弁草稿」

和歌画像

ポイント3:和歌

調布玉川絵図之弁には、伴主が和歌を記している部分(玉川里の付近)があります。実はこの和歌は、版によって異なる内容となっています。おそらく初版とそれ以降で和歌が変えられたと推測されます。初版と推測される小島資料館所蔵本と、多摩市教育委員会所蔵本を比べてみましょう。

初版(小島資料館所蔵)の和歌部分を見る

水源付近の絵図画像

ポイント4:水源付近の絵図

水源付近の絵図は、「調布玉川絵図之弁」に記された伴主独自の水源論に基づいて描かれています。そのため、武蔵国・甲斐国の国境などが細かく記されています。

小河内温泉画像

ポイント5:小河内温泉(おごうちおんせん)

伴主は、この温泉につかりながら、調布玉川惣画図作成の動機となる多摩川水源への疑問を持ちました。小河内ダムの建設により、現在は一部がダムになっています。

上流付近画像

ポイント6:上流付近

上流付近は水流や滝に着目した記載がみられます。

御嶽山画像

ポイント7:御嶽山(みたけさん)

御嶽神社には、調布玉川惣画図の製作者である伴主と、その清写をおこなった絵師・長谷川雪堤、制作の支援者・坂本千春によって奉納された絵額が残っています。この絵額の奉納は、調布玉川惣画図の刊行直前にあたる弘化2年(1845)2月におこなわれました。

羽村の阪本千春の記述画像

ポイント8:羽村の坂本千春の記述

調布玉川惣画図の地誌部分に、珍しく個人名が記されている部分があります。羽村の眼科医・坂本千春という人物で、坂本家の庭に観月楼という楼閣があると記されています。ひょっとすると、絵図上にも描かれているのかもしれません。

渡しの記述画像

ポイント9:渡しの記述

川のあちこちに渡し(渡船場)があります。調布玉川惣画図では渡しをこまめに拾っています。

多摩市域付近(関戸付近)画像

ポイント10:多摩市域付近(関戸付近)

調布玉川惣画図の中心部分。伴主の出身地・関戸村の近くに富士山が描かれ、絵図の中心であることが示されています。また、地誌的な記載も他の部分と比べて大変多くなってます。伴主がもっとも力を入れた部分といえるでしょう。伴主が別に記した『関戸旧記』の記述とかぶる内容も多く、伴主の地誌探索の成果が披露された部分でもあります。1333年の関戸合戦の戦死者・横溝八郎の墳墓なども描かれています。

鵜飼画像

ポイント11:鵜飼

多摩川では徒歩で鵜をあやつる「徒鵜飼」が主流で、屋形船で観覧する遊興がおこなわれていました。とても小さい絵ですが、よく見ると鵜飼のようすであることがわかります。

絵図に示される橋・船・材木画像

ポイント12:絵図に示される橋・船・材木

下流に関しては地誌的な記載がとても少なくなることがわかりますでしょうか。なお、調布玉川惣画図では、上流、中流、下流に渡しや橋が描かれ、船も描かれています。船の形なども場所によって描き分けられており、河口付近では帆掛け船も登場します。また、材木が上流から下流に運搬される過程もわかります。橋・船・材木に着目してみてみるのも面白いですよ。

謎の印画像

ポイント13:墨書と壺型印

多摩市教育委員会所蔵本では、最後に「青山 山中蔵巻」という墨書と、「山中」という壺型印が押されています。かつての持ち主を示すものと思われますが、この人物はまだ明らかになっていません。

初版(小島資料館所蔵)

ポイント14:採色

もともとの調布玉川惣画図は、青い水面のみが青く印刷され、その他はスミの2色刷りです。しかし、多摩市教育委員会所蔵本では、色が塗られています。このように色が塗られている状態のものは、それほど多くはありません。多摩市教育委員会所蔵本は彩色も大変美しく、建物の種類も的確に捉えて仕上げられています。

※サムネイルは初版(小島資料館所蔵)の画像です。クリックすると初版の目録(小島資料館)を表示します。

国会図書館の「調布玉川画図」を見る

作者・相沢伴主と相沢家

相沢伴主
相沢伴主

伴主は、明和5年(1768)に生まれ、名を「玄介(源助)」、通称を「源左衛門」といいました。

伴主の生まれた相沢家は、関戸村の名主を務めた家で、天正14年(1586)の松田憲秀(のりひで)印判状写に「相沢屋敷」として登場するのが最初です。祖父の了栄が安永4年(1775)の文書に「筏士(いかだし)」として名前を連ねていることから、相沢家は多摩川を使った材木運搬にかかわり、財を成した可能性があります。

了栄は、関戸観音寺の六観音や大栗橋の観音名号塔を建立し、父の五流は、多摩地域で初めて法眼(ほうげん)位(僧侶の位階のひとつ)を得た絵師でした。

伴主は花道と作庭を得意としました。天明5年(1785)に18歳で花道の流派・袁中郎(えんちゅうろう)(宏道(こうどう))流に入門すると、寛政8年(1796)には秘奥を許され「潭雲斎(たんうんさい)」と名乗り、文化6年(1809)に出された『(えん)(ちゅう)(ろう)(りゅう)(そう)()()()』では編者の一人となりました。伴主は多摩地域の袁中郎流の中心的存在でした。

伴主は文政10年(1827)、60歳にて、新たな流派「允中流(いんちゅうりゅう)」を創始します。門人の多くは村役人などの豪農で『調布玉川惣画図』刊行の際には、この允中流のネットワークが生かされた可能性があります。

(『調布玉川惣画図の旅』より引用)

動画でみる「調布玉川惣画図」

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作者相沢伴主・長谷川雪堤動画へのリンク

作者相沢伴主・長谷川雪堤

【解説】橋場万里子(公益財団法人多摩市文化振興財団 学芸員)

※解説にあたっては、以下の参考文献をもとに執筆しました。
特に岩橋清美氏による過去のご講演・ご研究等の多くを参考にさせていただきました。

【主要参考文献】

【多摩市立図書館/多摩市指定有形文化財「調布玉川惣画図」について】

【多摩市立図書館所蔵状況/調布玉川惣画図関連資料】