>東金市/東金市デジタル歴史館

【今後の掲載予定】(2019年度~2020年度)


文化財

 一概に文化財といっても、有形・無形文化財、天然記念物、無形民俗文化財、埋蔵文化財、登録有形文化財など多岐にわたります。その中で、東金市の特徴を示すものや希少な資料を掲載する予定。特に、鉢ヶ谷遺跡で出土しました土偶(共伴土器含む)は、資料自体の歴史的価値はもちろん、墓跡に副葬された考古資料としても全国的に唯一の資料といわれています。このような貴重な資料については、3D立体映像や高精細画像で細部まで観察できるように制作する予定なので、乞うご期待!
<平成31年度~32年度、掲載予定>


絵 画

 掲載する絵図は、貞亨二年(1685年)・元禄七年(1694年)・宝永二年(1705年)・宝暦八年(1758年)に描かれた裁許図です。これは、水争いや入会地に関連する村間の訴えを奉行所が裁決を下した時に作成させた絵図。江戸時代の東金町を描いており、明治~昭和初期と現代の地図を比較することで、その変遷と当時の風景が蘇ってきます。
 また、鎌倉時代作の「絹本著色天台大師像」(最福寺所蔵)、江戸時代作の朝岡興(おき)禎(さだ)筆「春秋田園風俗図屏風」なども紹介します。


人物史

 東金市の歴史を語るうえで、特出すべき人物は、徳川家康、関寛斎及び能勢剛があげられます。家康は、佐倉城主土井利勝に命じて、鷹狩りを名目に東金御成街道と東金御殿(現 千葉県立東金高等学校)を築かせました。御成りは慶長十九年(1614)11月の「大坂冬の陣」の前の1月の事。これを境に徳川との関係が歴史を彩り始めるのです。
 寛斎は、東金市東中で生まれ、18歳の時、医学を志し、佐倉の蘭医 佐藤泰然の順天堂に入所しました。そこでの修業を経て、銚子・長崎・徳島・福島など、さらに戊辰戦争(1868年)での奥羽出張病院の頭取としても、医学の実績をつみ、医学界の発展に寄与しました。しかしながら、突然、北海道の斗満・陸別への開拓に身を捧げます。寛斎、72歳の時です。寛斎が志した“医の道”は今でも引き継がれ、東金の偉人として市民からも敬われています。最近、両者に関わる新発見があり、これらの史料を中心に掲載します。
 そして、太平洋戦争後、東金地域の水不足を解消するために立ち上がった初代市長能勢剛(たけし)の功績(両総用水事業)についても記述します。


その他

 東金市に関係する芸術家にスポットをあて、その作品等を紹介。
 他に明治から昭和にかけての町の風景、生活、祭り、日清戦争から太平洋戦争時の市内写真、絵はがき等を掲載し、当時の市民の息吹を感じていただきたい。さらに風光明媚な八鶴湖と雄蛇ヶ池の歴史的背景について、特筆する予定。
 将来、このデジタル歴史館を通して、学習の他イベント&体験事業等も行えるよう、多様な計画を提示していきたいと考えています。皆さんの情報提供とご協力、よろしくお願いいたします。