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「目利き番頭 船えもん」をさがそう


「目利き番頭 船えもん」とは?

船えもん

江戸時代に千葉街道と成田街道が合流する宿場町として栄えた船橋。「船橋宿」から現代にやってきた目利き番頭の船えもん、いなせなロイド眼鏡を輝かせ、目利きとしての才覚は抜群。
 散切り頭で決めた髪型は「舟」の字をイメージするなど、生まれ育った船橋には強い愛着がある。温和で少し照れやな性格だが、目利きとしての仕事には厳しく、探究心と好奇心が旺盛。
お仕事は、船橋の「ええもん」を探し出し、産品ブランド品をPRすること。


1.かんたん

ならし野松原旧小金ヶ原

成田土産名所尽

 

三代目の歌川広重が、明治23年(1890)に描いたものです。
小金原の一部である大和田原では、明治6年に明治天皇が監督する中で、近衛兵(天皇の近くに仕え、警護にあたる人)の訓練が行われ、天皇から「習志野ノ原」と命名されました。まもなく陸軍が訓練する場所として全国に知られるようになりました。
この画の場所は、今の船橋市郷土資料館(船橋市薬円台)東方のあたりです。
今の千葉県北部の台地の多くは、江戸幕府が直接管理する、広大な馬の放牧場でした。その多くは新政府の政策で、明治の初めに畑で作物を作る農村として切り開かれました。しかし、別の使い道になった土地もあって、今の船橋市中央部から習志野市北部の土地は、陸軍の訓練するための場所「習志野演習場」になりました。

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2.ふつう

大日本物産図会 下総国西瓜畑之図

三代目の歌川広重が、明治10年(1877)に描いたものです。
葛飾郡や千葉郡のあたりでの西瓜の生産を紹介している図です。江戸の近くの村では、江戸時代の前期から、江戸に住む人たちが食べる野菜や果物の産地でしたが、江戸時代の終わりに近づくほど、江戸から離れた地区でもそうした商品にするための作物の栽培が盛んになりました。西瓜は、初めは今の東京都葛飾区のあたりで多く栽培されていましたが、やがて下総西部が主な産地のひとつになりました。
船橋周辺でも、江戸時代の後期に、多数栽培していた記録が残されています。

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3.むずかしい

成田山開帳参詣群集之夕景

歌川国郷が、安政3年(1856)に描いたものです。
安政3年3月20日より60日間、深川の永代寺に出張して開帳(お寺の仏様を一般の人に拝ませること)が行なわれました。仏様のご利益にあやかろうと参詣する人たちがたくさん訪れている様子が描かれています。

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